京友禅について
四季の花

友禅とは、ちりめんなどの白い生地の上に、まるで絵画のような美しい模様を染め上げる、日本を代表する伝統的な染物技術です。

そのルーツをたどると、江戸時代の元禄期(1600年代後半)、京都の知恩院の門前に暮らしていた「宮崎友禅斎(みやざきゆうぜんさい)」という高名な扇絵師に突き当たります。当時、彼が描く洒落たデザインの扇絵は京都の街で爆発的な大流行を巻き起こし、井原西鶴の代表作『好色一代男』をはじめとする当時の多くの小説にも「友禅扇」の名が登場するほど、時代の最先端ブランドとなりました。

扇絵で大成功を収めた友禅斎のデザインは、やがて衣服である「小袖(着物)」の意匠へと応用され、これが「友禅染」の始まりとなったのです。

■ 「ゆうぜん」という言葉に熱狂した江戸の人々

実は、友禅斎の生涯や創案の詳しい過程は、現代でも多くの謎に包まれています。当時の古い文献を紐解くと、彼の名前は「友禅」のほかにも、友泉・友良・友仙・友染・友傅・友善・祐仙・幽遷・遊仙・勇善・由禅・幽禅・勇禅・有盡など、文字通り枚挙にいとまがないほど様々な漢字で書き残されています。

漢字の正しさよりも「響きの粋(いき)」を大切にした江戸の人々にとって、「ゆうぜん」という響きは、それほどまでに誰もが憧れ、真似したくなる「超人気ブランドの証」でした。曖昧模糊とした謎のなかにこそ、日本庶民の優れた美意識によってこの素晴らしい染物が大成されていったという、真の歴史のロマンがひそんでいます。

「かぢの葉」より宮崎友禅斎挿し絵
防染の技術と色彩の革新

それまでの染物と友禅染が決定的に違っていたのは、その技法上の革新性にありました。友禅染の最大の特徴は、模様の輪郭線に沿って細く糊を置く「糸目糊(いとめのり)」という防染技術にあります。

この糊が堤防の役割を果たすことで、隣り合う色が互いににじんだり混ざり合ったりするのを完全に防げるようになりました。これにより、まるで白い絹の上に直接筆で絵を描くかのような、自由で絵画的な表現が可能になったのです。さらに、色彩豊かなグラデーション(ぼかし)を表現する技術も開発され、日本の染色技術は一躍、芸術の域へと高められました。

友禅の種類

友禅は大きく分けて「型友禅」と「手描友禅」に分かれます。

型友禅(かたゆうぜん) 〜真の友禅の普及と職人技の結晶〜

明治時代を迎えると、ヨーロッパから導入された鮮やかな化学染料の普及とともに、職人が型紙を用いて手描きの緻密な絵柄を再現する「写し友禅(現在の型友禅)」が誕生しました。これにより、それまで一部の特権階級のものであった美しい友禅が、一般の多くの人々へと普及することになります。

「型友禅」とて、決して容易な作業ではありません。模様を色ごとに何枚もの型紙に彫り分け、わずかなズレも許されない精密さで生地の上に色糊を置いていくのは、伝統的な手仕事の精神を受け継いだ職人たちの高度な技術の結晶です。

歴史の専門書にもある通り、江戸後期から現代に至るまで、「友禅」といえば職人の型染めによって生み出される、美しい多彩な「着尺地(反物)」のことを指します。

私たち「和一」のちりめん友禅は、まさにこの正統なる「型友禅」の技術で作られています。レーヨンちりめんとしては大変珍しいほど多くの型紙(柄に応じて2枚〜15枚程度)を贅沢に使い、職人の熟練した手仕事によって、鮮やかで均一な美しさを持つ反物を次々と生み出しています。

型友禅
手描友禅(てがきゆうぜん) 〜一品制作の連続が生む風格〜

すべての工程を職人が一品ずつ、完全に手作業で描き染め上げていく贅沢な技法です。図案の作成、下絵描き、糸目糊置き、地入れ、そして筆と刷毛を駆使して色を挿していく「彩色」に至るまで、そのすべてが職人の高度な手技に委ねられています。

一筋の線の乱れ、一滴の染料のにじみも許されないこの制作過程は、文字通り「過酷な修練と困難を要するもの」です。それゆえに完成した一枚の布には、量産品には絶対に真似のできない圧倒的な風格と、深い精神性が宿る希少な高級品となります。

手描友禅・みすに菊に蝶
型友禅の製作行程

「和一」のちりめん友禅はこのような、職人たちのいくつもの手行程を経て、丁寧に作られていきます。(大まかな流れです。)

型友禅・作業工程

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